昨日は夕方から黒い雲がたちこめて、天気予報通り雷雨になりました。GW中に雷雨は珍しいかもしれません。
父親が洗車すると雨が降ると言うのはかなりの確率で的中しています。私もそういう傾向ですが・・・。洗車したのにカーポートからはみ出た部分が濡れてしまったゴルフRで今日は福島県の双葉郡大熊町、双葉町、浪江町へ行くことになりました。
私は昨年訪れていましたが、父親も見ておきたいとの事で行くことになりました。
新潟の家からの距離はおよそ200kmでしたが、実家の群馬からの距離は270kmほどあるので、父親の運転が怪しくなったら交代するつもりで出掛けました。
北関東道で岩船JCT、東北道都賀JCT、そしてまた北関東道へ入り、朝食を食べるつもりで壬生ハイウエイオアシスへ立ち寄るも、時間が早くてお店が開店していませんでした。
笠間PAまで行き、サンドイッチで済ませました。それにしても高速道路のPAはまるでコロナ禍前の混雑っぷりに戻っています。これはこれで良かったと思いますが。
友部JCTから常磐道へ。常磐道は2015年に全線開通したようですが、日立から先は舗装や道路設備がキレイで走りやすい道路でした。
大熊ICで常磐道を下りて海側に向かいます。この辺りは走行しているクルマが少なく、下りるクルマもいませんでした。道中は帰還困難区域で廃墟となった家々が点在しています。私は昨年訪れた時にこの光景に一番辛さを感じました。
そして東日本大震災・原子力災害伝承館へ。一通り見て回りましたが、両親ともに耳が遠くなり、映像作品を見ても音が聞こえにくかったそうで残念でした。語り部の方の話もほとんど聞き取れなかったそうです。Teamなどで文字起こしのトランスクリプト機能があったり最近は優れたものがあるので、そういう技術でぜひとも字幕化を希望します。
昨年は双葉町交流センターで昼食になみえ焼そばを食べていますが、少し時間が早いので次の目的地へ。通常は火曜日は伝承館は休館日でそれに合わせてレストランはお休みでした。なみえ焼そばなどが食べられる軽食コーナーは空いていましたが、まだ誰もいないので入りにくくやめてしまいました。
震災遺構として昨年10月公開された請戸小学校です。私も前回訪れた時には公開準備中で初めてです。ちょうど1階部分が津波により被災しています。
風化もありますが、校舎の中はこのような感じでした。開け放たれているので、本格的に遺構として残すのであれば、外部を建屋で覆うような事をしないといつか劣化により取り壊さなければならなくなってしまうと思いました。これでは帰還困難区域の住宅と一緒です。
校舎からは5.5kmほど先に福島第一原発の煙突や廃炉作業中のクレーンのアームが見えます。この原発事故さえなければと思ってしまうのですが、津波による被害も甚大で死者・行方不明者合わせて約180名の方がこのあたりで亡くなられています。
反対に原発は津波被害によって電源喪失のようにされているものの、実際にはその前の地震によって配管のダメージが大きく、仮に津波被害が無かったとしてもどうなっていたか分からない・・・という考えもあるようです。
自然現象の前にあっては何が真相か分かりませんが、原発事故は天災がもたらしたのではなく、制御しきれない人間の責任で人災だと私は思っています。
またしても色々と考えさせられる訪問となりましたが、何だか被災地と言う言葉は10年を越えて使うのは適切なのか、私にはわからず、あえてタイトルには使えませんでした。
この後は賑わっている道の駅なみえで昼食を食べました。
昨年6月に東京電力廃炉資料館を訪れた際に唐揚げカレーをここで食べました。
今回はうけ丼と言うサーモン・いくら・しらすが乗った丼を食べました。
食後は廃炉資料館へ行くもの良いと思いましたが、帰りの時間も読めないので、帰路につくことにしました。最寄りの浪江ICから常磐道へ乗り、途中東海PAで休憩して、来た道を帰りました。東北道では停止はせず、ノロノロでしたが、渋滞でした。
結局行きも帰りも父親が運転しました。良く行く上信越道や東北道などと比べると随分走りやすかったそうです。
私は2回目、廃炉資料館を含めると3回目の訪問でしたが、家族とこの光景を共有出来て良かったと思っています。